神や仏は信じない

nogajun
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自分は神や仏も信じないのでクリスマスもせず初詣に行くこともなく普通に過ごしています。 自分が死んだ時には式もせず火葬して骨を海にでも撒いてもらえればいいと思います。 仕事もろくにしない結婚の予定もない一人ものにコストをかけるのも馬鹿らしいしね。

なぜこういうことを書くのかというとFacebookのアンケートで「いつ初詣に行きましたか?」という質問があったからでした。

人に言う気もなく話すことでもないと思っていましたが、そう思うようになった経緯について書くには良い機会なので経緯を書いてみたいとと思う。


自分の母はとある宗教に入っていました。

自分の住んでいる町内にはその宗教の信者も多く、小さい時から面倒を見てもらったり、困った時には助けてもらったり、普通の近所付き合いとしていろいろ世話になっていました。

ある日、母が亡くなりました。

母が亡くなった時も近所の人たち(もちろんその宗教の信者の方もいます)に助けてもらいながら、葬儀会館でお通夜と葬式の準備をしていた時にそれは起こりました。

その宗教のとある方が来ました。その方は見たこともない人でした。

自分は頼りなかったけど喪主だったので対応していたけれど、話をしていると何かおかしい。

話す口調はとてもエネルギッシュ。いや、とても暑苦しくそれだけで「面倒だな」と思わせるには十分で、最初は励ましている風に話をしていたのが母のことはまったく知らないので故人の思い出を語るわけでもなく、そのうちに自分や母のことは置いてその宗教がいかに偉大かについての話になり、最後には「お母さんのためにも(その宗教の活動を)頑張るべきだ!」と言い出したところで、とうとうブチ切れてしまった。

「オレはオレの宗教を信じる。俺が神だ!」と。

それ以来、神や仏は信じないようになりました。


そういう経緯があって信じることはなくなったけど、唯一の例外は母の仏壇に手を合わせることぐらい。最近あんまり合わせてないけど。 これは故人への想い以外なくて、手を合わせる行為も想いを伝えるためのプロトコルを合わせると言った感じ。

近所の人についても、その件があっても付き合いは変わっていません。小さい時から知っている人ばかりなので未だに子供扱いです。もう十分おっさんなのにね。

この話しも10年も前の話しで人に言うことはないかなと思ったけれど、思い出したので書いてみました。