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3月11日
nogajun
去年のいまごろ、電車に乗ってJR神戸駅まで行っていた。OpenStreetMapの地図を書くためJR神戸駅周辺を歩きまわってマッピングしていた。 地震があったことは薄っすらとは聞こえてはいたけれど、この時はそんなに大事(おおごと)じゃないと思っていた。
ハーバーランドのはねっこ広場で津波のアナウンスが流れていたけど、気にも止めず歩いていた。
夕方過ぎ、本来の目的の会議があったので移動の途中、Sofmapに寄ると大型テレビにはワケわからない映像が映し出されていた。
会議はクソだった。
実もないしクソな進行で進む会議にイラつきながら終わるのを待って帰り際にSahanaをやろうと決めた。でも、いまいち踏ん切りがつかなかった。
姫路に着いて近所のサイゼリヤでご飯を食べてたら、SahanaのChamindraからTwitterでこんな問いかけがあった。
@hyogontech Sorry to hear about the disaster in Japan. Would a Sahana instance be useful for coordinatation?
— Chamindra de Silvaさん (@ChamindraS) 3月 11, 2011
その後、2、3やりとりをして僕は走りだした。走りだしたのは僕、一人だけだった。
それから土日、家の中で孤独な戦いをしていたけど、その中で僕の力になったのはこの言葉。僕は一生忘れない。
The Japanese helped Sri Lanka a lot during our 2004 Tsunami and crisis. It is now our turn to help Japan
— Chamindra de Silvaさん (@ChamindraS) 3月 12, 2011
あとは雪玉が転がり落ちるように大きく、人の輪が広がり走り始めたけど、僕は石につまづき、弾き出され、一年が経ってしまった。
さあ、どうする?